暮らしにあえて“不便”を残してみる

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    最後に、手紙を書いたのはいつだろう。
    最後に、辞書を引いたのはいつだろう。
    最後に、地図を広げたのはいつだろう。

    思い出せないくらい、昔のことかもしれません。

    最近はスマートフォンひとつで、たいていのことは済むようになりました。

    連絡はメッセージアプリで一瞬で届くし、わからないことはすぐ検索できる。
    道に迷いそうなら、ナビが音声で案内してくれる。

    便利な時代になりました。

    でも、その反面、何かが静かに減っている気がしています。

    昔は、もっと遠回りをしていた

    思い返すと、子どもの頃や学生時代は、
    今よりずっと時間をかけていたことがたくさんありました。

    遠くにいる友人へたまに連絡するとき、便箋を選んで、ゆっくり手紙を書いた。
    どんな言葉を選ぶか、考えながら書いた。書き損じたら、また最初から書き直した。

    調べものをするとき、図書館へ行って本を探した。
    目当ての本がなければ、別の棚を眺めながら歩き回った。
    探しているものとは違う本に目が留まって、
    気づいたら全然関係のないページを読んでいた。

    旅行の計画を立てるとき、ガイドブックに付箋を貼り、
    地図に書き込みをしながら、あれこれ想像した。

    遠回りで、時間もかかる。今の視点で見れば、非効率そのもの。

    でも、その時間の中に、何かがあったはずです。

     

    不便だからこそ、生まれるものもある

    「早く」「楽に」「効率よく」が当たり前になった今、
    少し前まで普通にやっていたことが、手間に見えるようになりました。

    地図を広げて、目的地までのルートを自分で考える。
    料理のレシピを頭の中で組み立てながら、冷蔵庫の中身と照らし合わせる。
    誰かの誕生日に、メッセージカードを手書きする。

    どれも、今ではアプリや検索がすぐ答えを出してくれます。
    便利になったことで、助かっていることは確かです。

    でも、自分で地図を読もうとするとき、人は街の構造を頭に描こうとする。

    レシピを考えるとき、食材の組み合わせについて自分なりに工夫する。

    手書きのカードを書くとき、相手のことをゆっくり思い浮かべながら言葉を選ぶ。

    少し不便だったからこそ、考えることが生まれていた。工夫することが生まれていた。
    その過程の中に、発見や楽しさがありました。

    答えが先に来てしまうと、考えるより前に終わってしまうのです。

    例えば、スマートフォンのカレンダーアプリは、本当によくできています。
    予定を入れればリマインダーが鳴り、共有もワンタップでできる。

    それでも、今でも手書きのスケジュール帳を使い続けている人は少なくありません。

    書くことで、記憶に残りやすい。
    字を書くことで、その予定が自分の中に入ってくる感覚がある。

    使い込まれたノートには、その年の自分の時間の流れが、
    にじんだインクとともに刻まれていきます。

    漢字を書く機会が増える、という実用的な側面もある。

    でもそれ以上に、「書く」という行為そのものに、何か取り戻せるものがある気がします。

    確かに時間はかかる。効率だけを考えれば、アプリの方が早い。
    でも、その非効率な時間の中に、暮らしを味わうための余白があります。

     

    便利の外側に、「不便益」がある

    「不便益」という考え方があります。
    不便であることによって得られる益、という意味です。

    道に迷うから、街を覚える。
    時間がかかるから、丁寧になる。
    すぐ答えが出ないから、自分で考える。

    便利さを追い求めるほど、この「不便益」は静かに削られていきます。

    何かを調べようとして、検索する前に少し考えてみる。
    そんな習慣が、今の暮らしの中にどれだけ残っているでしょうか。

    答えを待たずに、自分の頭の中で少し転がしてみる。
    その数秒が、思考を深めていたり、
    実は思いがけない発想につながっていたりするものです。

    便利であることと、豊かであることは、必ずしもイコールではないのかもしれません。

      

    ひといきは、非効率の中にある

    「ひといき」というのは、単に休むことではないと思っています。

    立ち止まること。自分の感覚を取り戻すこと。暮らしを味わうこと。
    そして、余白をつくること。

    便利すぎる時代では、考える前に答えが出てしまう。
    立ち止まる前に、次へ進めてしまう。

    気づけば、自分が何を感じているかを確認する間もなく、一日が終わっていきます。

    だからこそ、少し不便なくらいが、暮らしの中に余白をつくってくれます。
    「少し時間のかかる行為」の中から、ひといきが生まれることもあるでしょう。

    便利さを手放す必要はありません。
    でも時々、あえて遠回りをしてみることが、暮らしに深みをくれるのかもしれない。

    不便だった頃の暮らしには、今よりずっとその余白がありました。
    それが当時は当たり前すぎて、気にも留めなかった。

    そんな小さな「あえての不便」が、暮らしの中に、実はひといきをつくる。

    そう思うと、少し不便なことは、損ではないのかもしれません。

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